桃についてのあれこれ
「おどろき」との出会い
季節感のない話で恐縮ですが、昨年の夏に初めて「おどろき」を食べました。「おどろき」とは、驚くほど硬く、驚くほど大きいところから名付けられた、主に山形で生産されている桃です。通常の桃より一回りは大きく、柿のような硬さがあり、熟しても柔らかくなりません。少し冷たくして丁寧に洗って産毛を取り、皮ごと食べてみると、あっさりとしつつも、しっかりとした甘さが口に広がり、その硬さとともに文字通り驚きました。
ここ何年か、「川中島」という硬い品種を好んで食べてきたのですが、ある日ふと、他に硬い桃はないのかしらと探して、「おどろき」の存在を知りました。そしてまさにその翌日、自宅近くで開催された自治体主催の盆踊り大会に出かけたところ、友好都市である山形県東根市のブースで「おどろき」を見つけたのでした。この桃と巡り会えた偶然と感動は今でも消えません。そこで桃の節句にもちなみ、桃について書き連ねてみたいと思います。
日本における桃の歴史
桃は日本人が好きな果物ランキング上位の常連です。少し調べただけでも、1位(LINEリサーチ、2024年)、2位(マイボイスコム、2022年)などが見つかります。甘くて、ジューシーで、きれいな色をして、香りが良い桃。時に、皮がむきづらいといった声もあるものの、人気の果物です。しかし、私たちが食べているような桃は明治時代以降の品種改良の賜物で、江戸時代までは実が小さく美味しくなかったため、食用にはあまり適さなかったようです。桃には、観賞用の花桃(はなもも)と食用の実桃(みもも)があり、江戸時代までの桃とは縄文時代に海外から渡来した花桃(在来種と呼ばれています)の系統でした。
五大昔話の一つとされる桃太郎の原型は室町時代に形作られたとされ、現存する最古の書籍は1723年刊行の赤本「もゝ太郎」です。おじいさんとおばあさんが食べようとした桃が今のような美味しい桃でないのは意外な気がします(ちなみに、桃太郎は多くの黒本・青本、黄表紙や豆本にも描かれ、その中のいくつかは大東急記念文庫が所蔵しています。うち「昔々桃太郎發端話說(むかしむかしももたろうほったんばなし)」は、今年の大河ドラマの主人公、蔦屋重三郎(1750~1797)が発行しています)。
桃は縄文時代に原産地の中国からもたらされ、6000年前の遺跡からも出土しています。中国では不老不死をもたらすもの、災いを払うものと考えられてきました。中華料理の桃饅頭は、中国では高齢者の誕生日に長寿を祝う席で食べられているそうです。日本でも、神話の中で邪悪を払うものとして桃は登場します。「古事記」では、イザナギは死んだイザナミを追って黄泉の国を訪れたものの、変わり果てたイザナミに恐れをなして逃げる際、追手に桃を投げて難を逃れました。ずっと、桃太郎はなぜ桃から生まれたのかと疑問に思ってきましたが、こうした桃の持つ力を考えれば納得です。
桃は実際、日本においても薬として用いられていたようです。有岡(2012)によると「蕾も花も、葉っぱも、若い枝も、種子(仁)も、根っこも、樹幹から分泌される樹脂も」すべてが薬として使われたそうです。現代でも、桃の果肉の内部にある「核」に守られている種子を乾燥させたものは桃仁(とうにん)と呼ばれ、漢方薬に用いられています。
さきほど、観賞用と食用の桃があることに触れましたが、日本において観賞用として桃の花が愛でられるようになったのは奈良時代からのようです。平城宮の庭園には桃が植えられ、万葉集や当時の漢詩集にも桃花をうたったものが収められています。こうして古くから栽培されてきた桃ですが、花の色や形、大きさなど、その美しさのための品種改良が進んだのは江戸時代になってからで、200種もの品種が生まれました。
一方、食用の桃の品種改良は明治時代になってからで、新たに導入された外国産をもとに進められました。私たちが現在食べている桃の系統です。国は殖産興業の一環として農業の振興も目指し、明治初期に内藤新宿(現在の新宿御苑)や青山などに試験場を設立して、欧米の果樹・野菜の栽培、家畜の飼育を行いました。桃についても1873年(明治6年)と1875年(明治8年)に、実桃の系統である欧米と中国の品種を導入したのが始まりで、以来、品種改良が続けられてきました。日本においては現在に至るまで、国や都道府県の研究機関が品種開発に大きな役割を担っています。
東急線沿線と桃のつながり
1874~1875年にはすでに、東京で養成された桃の苗木が岡山県や神奈川県に配布され、栽培が始まったそうです。その後、苗木は日本各地で試作され、日本の環境に適した桃が作り出されていきました。現在では沖縄を除く全都道府県で栽培されており、なかでも山梨、福島、長野、和歌山、岡山等の各県が産地として有名です。神奈川県の名があがったことは意外でしたが、実は明治末期~昭和初期の主要産地の一つであり、1934年(昭和9年)には桃の生産日本一になったこともあるのです。
少し歴史をひもとくと、川崎市川崎区、中原区、横浜市港北区などで栽培されていたことがわかります。川崎区は、1896年(明治29年)に見いだされた品種「伝十郎桃」とその改良種により一大産地となり、神田や横浜に出荷されるとともに、苗木は全国の農家へ配布され各地での品種改良のおおもととなったようです。川崎区の多摩川沿い一帯は、大正の初めにかけて桃の里だったそうですが、やがて沿岸部での工場進出と市街化により廃れ、主要産地は現在の中原区、高津区へと移っていきました。中原区では、昭和初期には全国でも有数の桃の産地で、現在の武蔵小杉や等々力、元住吉など各地で栽培されていました。中原区では川崎市制90年の2014年に桃を中原区の「区の木」に制定しています。また、横浜市港北区の綱島はかつて洪水に悩む寒村でしたが、1897年(明治30年)ごろに川崎から来た行商人のすすめで桃の栽培に着手、1907年(明治40年)に新しい品種「日月桃」を生みだし、全国に出荷するようになりました。
川崎市中原区、高津区、横浜市港北区はいずれも東急線沿線です。「東京急行電鉄50年史」(1973)には、1926年(大正15年)の東京横浜電鉄(東急電鉄の前身の一つ)の開業時の様子を伝える文章に、一面桃畑の鶴見川橋梁を渡る鉄道車両の写真が添えられています。開業当初の誘客誘致の宣伝プランとして、当時の五島慶太専務の指示事項には「桃の名所の宣伝方法(綱島、太尾、住吉ヲ桃ノ名所トシテ)」と書かれています。友人から教えてもらった『玉川沿革誌』(1934)には、桃林は二子玉川までの多摩川両岸に広がり、玉川電車の乗客はその美しさに驚嘆したことが書かれています。桃林が広がる景色は大きな地域資源だったことでしょう。
桃の現在地
日本では研究機関の高い技術力、産地の創意工夫、高品質を求める消費者の存在を背景に、果物への品種改良が続けられています。いちご、ぶどう、りんご、かんきつ類とともに、桃も多くの品種が生み出されてきました。現在日本で食べられている桃の種類は、国の「特産果樹生産動態等調査」には、果肉が白い「白桃」と黄色い果肉の「黄桃」あわせて、生食用が86種、加工用が2種掲載されています。「豊洲市場のX(旧twitter)の中の人」が数年前に公開した桃の三部作―桃の旬の時期を示した「桃の品種リレーカレンダー」、桃を甘さと硬さの2軸で表した「桃マップ」、「桃の家系図」を眺めるだけでも、品種の豊富さと幅に圧倒されます。海外でも桃の人気は高く、香港や台湾、シンガポール等に輸出されています。
一見、順風満帆なようですが、果樹農業はいくつもの課題に直面しています。それらは重労働および高齢化・後継者不在による農家の減少、栽培面積や収穫量・出荷量の減少、加工品に対する消費者ニーズの高まりへの対応不足、供給過少による卸値の押上げ、若年層・中年層の果物摂取量の減少などです。規格外品の扱いも、食糧自給率の向上、フードロスの削減、農家の経営向上といった点から重要です。気候変動の影響も無視できません。もちろん、これらの課題は桃にも当てはまります。下図の通り、結果樹面積(植えたばかりでまだ実をつけることができない樹を除いた、果実を収穫できる樹が植栽されている面積)が減っていますが、それ以上に収穫量・出荷量が減少しています。ところで収穫量と出荷量の差、つまり収穫したにもかかわらず出荷されなかった量になりますが、直近の2023年では7.6千tです。自家消費や産地でのおすそ分けも含まれるとはいえ、規格外品も相当量にのぼると考えられます。
国はこれらの課題に、担い手の確保・育成、労働生産性に優れた樹木の形や植え方の工夫、加工品への対応強化、など様々な対策に着手しています。消費側の対策についても、果物摂取量は世界的に見ても低いこともあり、厚生労働省は、2024~2035年度の国民健康づくり運動(健康日本21(第三次)において、果物を1日200g食べることを目標値にし、農林水産省は「毎日くだもの200グラム運動」を展開しています。
気候変動に対する緩和策(温室効果ガスの排出を減らす対策)と適応策(気候変動の影響に対処する対策)においても、農林水産分野での取り組みが各種行われ、桃も品種改良や、果実の温度上昇を抑制する袋の開発等が行われています。このほか、山梨県では「4パーミル・イニシアチブ」に参加し、桃を含む果樹栽培からの二酸化炭素の発生を抑える取り組みをしています。聞きなれないイニシアチブですが、これは土壌の炭素量を年4パーミル(‰=%の1/10)増やすことで人間の経済活動から発生する二酸化炭素を実質ゼロにする、という考え方に基づく国際的な取り組みです。参加する国や自治体はそれぞれ独自に取り組んでおり、山梨では剪定(せんてい)枝を燃やさずに炭にして畑にまくほか、果樹園に下草を生やしその下草を刈って果樹園に敷くことを通して、炭素を土壌中に貯めています。
規格外品の販路や使用用途も広がっています。道の駅や、訳あり食品専門ECなどで農家が直接販売できる場所が増えましたし、規格外や傷のついた桃をふるさと納税の返礼品として採用する自治体もあります。6次産業化としてジャム・ジュース・缶詰などの加工品製造事例もみかけ、農家レストランで提供するところもあります。
外部の事業者との連携により、新たな販売ルートも生まれています。たとえばあるECサイトでは、規格外や未収穫の桃を消費者に届ける独自の流通網を構築しました。某スーパーのリアル店舗では産地と組んでカットフルーツにして販売しています。規格外品を仕入れ、桃づくしのコースを提供しているフレンチ料理店もあります。私たち消費者も、いつまでも国産の美味しい桃を守るためにも、積極的に応援していきたいものです。
東急線沿線の綱島では唯一の桃農家の桃園が広がり、現在も「日月桃」が栽培されています。隣接する新綱島駅構内のガラスパネルには桃の木が映し出され、土地の記憶を伝えています。昨年3月には綱島市民の森・桃の里広場において25回目の「綱島桃まつり」が開かれました。中原区では「二ヶ領用水・中原桃の会」が40年近く、二ヶ領用水沿いに桃の木を植樹し手入れを続けるとともに、「中原桃祭り」を開催しています。さらに宮前区には江戸時代から「馬絹の桃」として有名な花桃が栽培されています。探せば、もっと桃と地域のつながりが見つかるかもしれませんし、今年の春の花見は桃にして、夏になったら様々な桃の食べ比べをしたいものだと思っています。
主な資料
有岡利幸(2012),『ものと人間の文化史157 桃』 法政大学出版局
川崎市職労教育支部学校部会「学校用務業務 ―川崎発祥「伝十郎桃」復活の取り組み―」(2013),全日本自治団体労働組合 第35回地方自治研究会全国集会
https://www.jichiro.gr.jp/jichiken_kako/report/rep_saga35/13/1301_yre/index.htm
[果樹栽培]研ぎ澄まされた日本の果樹栽培 高品質追及の道のりと展望(202107),水の文化68号(特集 みずみずしい果実),ミツカン水の文化研究センター
https://www.mizu.gr.jp/img/kikanshi/no68/mizu68e.pdf
LINEリサーチ 「好きなフルーツランキング発表」 (2024年),顧客満足度・CSランキング総合ニュースサイト,https://csnews.jp/others/agri/20240821_35674.htm
【実録】桃の家系図がバズッた記念に、桃の3部作をまとめて公開しまーす\(^o^)/(201708),
https://tsukijiichiba.shokubunka.co.jp/blog/stuff/momo_buzz/,豊洲コラム 豊洲市場ドットコムのウラガワ。
優れた品種が支える日本の農業,
https://www.naro.go.jp/publicity_report/publication/responsive/naro/naro24-cont03.html,国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)
第14回サイエンスカフェ「聞いてみよう!桃のこと 桃ってどんな木、気になる木?」開催報告(2016)
http://www.frc.a.u-tokyo.ac.jp/information/news/151001_report.html,東京大学大学院農学生命科学研究科 食の安全研究センター
大東急記念文庫(1955),「大東急記念文庫書目」
竹下大学(2024),『日本の果物はすごい 戦国から現代、世を動かした魅惑の味わい』,中央公論新社
田中博(1934),『玉川沿革誌 : 附・名所旧蹟案内』 ,
https://dl.ndl.go.jp/pid/1106157/1/1,国立国会図書館デジタルコレクション
綱島の桃の歴史 http://peachnet.g2.xrea.com/momo/history.htm,つなしまピーチネット
東京急行電鉄(1973),『東京急行電鉄50年史』,
https://www.tokyu.co.jp/history/history_50/pdf/00_tokyu50th_all.pdf
内藤新宿試験場,https://www.a.u-tokyo.ac.jp/history/galleryx.html,
東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部
中原桃の会 「産地復活へ」13本植樹 等々力緑地前でPR(2024),
https://www.townnews.co.jp/0204/2024/04/05/727170.html,タウンニュース
マイボイスコム㈱「果物」に関するインターネット調査」 (2022)
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001201.000007815.html
昔話桃太郎 – ArtWiki,
https://www.arc.ritsumei.ac.jp/artwiki/index.php/%E6%98%94%E8%A9%B1%E6%A1%83%E5%A4%AA%E9%83%8E,立命館大学
農林水産省「果樹農業の現状と課題について」(2024),
農林水産省「気候変動と農林水産業」https://www.maff.go.jp/j/kanbo/kankyo/seisaku/climate/index.html
農林水産省「特産果樹生産動態等調査」(2021)
農林水産省「ももの歴史と主な品種」https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1905_06/spe2_01.html,
農林水産省「令和5年産果樹生産出荷統計」(2024)
「むかし、中原は桃の里」編集実行(2002),『むかし、中原は桃の里』
薬学コラム 今月の薬草:モモ
https://www.pharm.or.jp/yakusou/2023/01/post-137.html,公益財団法人日本薬学会
和歌山大学食農総合研究教育センター「和歌山県におけるモモ産地の展開」(202203),食農総合研究教育センター研究成果第17号,和歌山大学