ウクライナ戦争2年 ~意地と意志の闘い~
2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻から、間もなく2年の月日が流れようとしている。筆者は2022年5月11日付の本コラムにて、「戦乱は長期化せざるを得ないだろう。」と記したが、もちろん心底では平和的解決機会が1日でも早く訪れることを願っていた。しかし残念ながら戦況は膠着化しており、今後の見通しについては遺憾の意を抱いている。
戦乱長期化の要因は、ロシア・ウクライナ両国の地政学的・歴史的経緯や、武力装備の視点からみれば筆舌に尽きない。しかし、両国為政者の対峙という側面からみれば、絶対に負けられない立場に追い込まれているプーチン大統領の“意地”と、自らのアイデンティティーを死守しようとするウクライナ国民に支えられたゼレンスキー大統領の“意志”が、互いに一歩も譲ることなくぶつかり合っていることに大きな原因があるように思える。
筆者のような日本人的感覚からすると、プーチン氏は意地を張っているようにみえ、ゼレンスキー氏は意志を貫いているようにみえるのだ。仏教には「意志が濁れば意地になり、口が濁れば愚痴になり、徳が濁れば毒になる」という教えがある。夏目漱石も「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ(草枕)」の名句を残しているが、開戦当初テレビに映るプーチン氏の表情が窮屈そうにみえたのは私だけであろうか。
ではなぜ、プーチン氏の言動が意志から出ているものではなく意地と推察したのか。
まず、どの国であれ戦争を起こさないことがベストだが、開戦せざるを得ない状況があったとしても正当な大義は不可欠である。その点、開戦当初のロシアの大義は「NATO主要国がウクライナのネオナチ勢力を支援している」というもので、第二次世界大戦での『ナチスとの戦い』を想起させようとしたが、これは矛盾に満ちた理屈でありロシア国内にも浸透するには至らなかった。
しかしその後、大義は『祖国防衛の闘い』にすり替えられた。ロシアに占領されたウクライナ南東部はすぐさま併合され、そこはロシア領なのだから攻撃を仕掛けてくるウクライナから祖国を守ろう、という耳を疑いたくなるような屁理屈めいた大義である。本来、大義が右往左往揺れ動くようでは、もはや大義とはいえないと思うが、プーチン氏はさらりとそれをやってのける。意地を張るほどつじつまは合わなくなるのだが、いまや大義もどこへ行ったのか、ウクライナを支援する西側を敵視し、ただただ勝つことだけが目的になっているようにさえ感じられる。
正しい大義があってこそ、それを実現しようとする行動に“志”が生まれる。その点、ウクライナ大統領のゼレンスキー氏が、自国の主権と領土を他国に侵され、その奪還を目指すのは必然の行動であり意志といえよう。2022年2月24日以降のゼレンスキー氏は、巧みな動画配信に加え、実際に戦火をくぐって世界各地を訪問しながら自国への支援を呼びかけたが、それができたのも強い意志があったからであり、彼は俳優出身だからというように斜に構えてみなければ、動画に映る表情からもそれが確実に読み取れた。
プーチン氏の意地とゼレンスキー氏の意志の闘いは、両者が自国民から高い支持を得る限り、いまだしばらく続くであろう。そして戦乱は収まる兆候がみえない。プーチン氏の支持率低下を期待したいところだが、権力集中と反体制派に対する弾圧や粛清、国民に対する徹底したプロパガンダなどにより、相変わらず支持率は高い*1。来月の大統領選では圧倒的な勝利が見込まれている。善しあしは別として、ロシアという国ではプーチン氏がリーダーとしての能力を発揮しているのも事実であり、戦況のみならず、これらの理由によって休停戦の機会は遠のいてしまっている。
弾圧、粛清、プロパガンダといった非人道的行為は、いうまでもなく我々の常識では許されざることだが、歴史的にこうした行為が政権維持や権力増強のために一定の効力を発揮してきたロシアでは、常とう手段のように繰り返され、国の浮沈をも左右してきた。そして、このことはロシアという国の為政者にとって悲しいさがであると同時に、「反抗するものは潰さなければ、自分あるいは自国が潰される」というのがプーチン氏にとっての妄念なのかもしれない。
一方、米ハーバード大学でロシア・ウクライナ研究の第一人者であるセルヒー・プロヒー氏は、プーチン氏について次のように分析している。「四半世紀も権力の座にあり、おそらくもっと長く居座りたいと考えている。ロシアに限らず、長く務めた政治家はレガシーを求める。プーチン氏はロシアが大国の地位を取り戻すこと、せめて失ったと思っている領土の回復をレガシーとして望んでいる。そしてそれを歴史書に載せたいと思っているのだろう。」
プーチン氏は既に71歳だが、来月の大統領選に臨む胸中にこうした名誉欲が深く刻まれているならば、絶対に負けられない意地の戦争であり、長ければその在任中は戦闘を継続する恐れがあると想定せざるを得ない。再選は確実視されており、最長で83歳まで大統領を続投することも可能となる。プーチン氏の最近の表情には、余裕さえ見て取れる。
一方のゼレンスキー氏であるが、欧米の支援疲れに加えて、昨年10月に勃発したハマスとイスラエルとの紛争以降、世界の関心がウクライナ戦争から遠ざかった感がある。政権支持率も低下する*2など、今後も祖国奪還の意志を貫き通せるのか、やや微妙な形勢に追い込まれている。さらには、ゼレンスキー氏とウクライナ軍幹部との確執が表面化し、最大のウクライナ支援国であるアメリカでは、支援について懐疑的な意向を漏らす共和党トランプ氏の大統領復活が現実味を帯び始めている。
そして、米調査会社のユーラシア・グループが1月に発表した「今年の世界10大リスク」によると、3番目のリスクとして「ウクライナ分割」がつぎのように記されている。『ウクライナは今年、事実上分割される。ウクライナと西側諸国にとっては受け入れがたい結果だが、現実となるだろう。少なくとも、ロシアは現在占領しているクリミア半島、ドネツク、ルガンスク、ザポロジエ、ヘルソンの各州(ウクライナ領土の約 18%)の支配権を維持し、支配領域が変わらないまま防衛戦になっていくだろう。―中略― 2024 年は戦争の転換点となる。ウクライナが人員の問題を解決し、兵器生産を増やし、現実的な軍事戦略を早急に立てなければ、早ければ来年にも戦争に「敗北」する可能性がある。』
もしウクライナが敗北し、占領された地域がロシア領となる条件で停戦合意となった場合、強権主義国家の力による他国侵略や主権侵害が認められたことを意味する。その場合、旧ソビエトから独立して民主主義に転じた国々や、ロシアと領土を接するフィンランドなどでも安全保障上のリスクが高まることになる。
また、強権主義国家はロシアだけでなく世界のあちこちに存在しており、地政学的にはそうした国家に隣接する地域の危険性が増すことになる。それはアジアの国々にとっても無関係ではなく、中国の南洋進出や台湾有事、尖閣諸島問題などにも影響を及ぼすであろう。
*1 ロシアの民間世論調査会社レバダセンターによると、プーチン大統領の支持率は昨年11月時点で85%、ウクライナ侵攻後はおおむね8割台の支持率を維持している。
*2 ウクライナ国内でのゼレンスキー氏の支持率は、2022年末時点では84%であったが、キーウ国際社会学研究所が昨年11月末~12月上旬、成人1,031人を対象に行った世論調査では62%に低下した。