気候市民会議からの招待状
昨年 観たある舞台、観客は主人公の邸宅で開かれるパーティの招待客という設定でした。入場の際にチケットを提示した時、「どなた様からのご紹介でパーティにいらっしゃいましたか?」というようなことを尋ねられ、「近所なので」と答えました。その邸宅は劇場所在地と同じ場所という設定で、事実、私は歩いて20分ほどのところに住んでいます。正直に答えたつもりでしたが、劇場の方は私がウィットのある返答をしたと評価してくれたようでした。
さて、突然次のような招待状が皆さまのお手元に届いたら、どう思われるでしょうか。「気候変動対策について市民が話し合い、自治体に提案する『気候市民会議』を開催します。あなたは無作為抽選(くじびき)で選ばれました。参加していただけますか。」
私が初めて知人から「気候市民会議」という言葉を聞いたのは2021年の初夏でした。以来「名前を知っているが内容を知らない」状態に居心地の悪さを感じていた私は、2022年に関連するウェビナーに参加しました。私が興味をひかれたのは2点です。まず、気候変動対策という日本全体がこれまで以上に積極的な対応が求められる喫緊の課題に、市民が自分事として取り組み、自治体に提案することの意義という点 です。次に、市民が討議するテーマは日々の生活とかかわりの深い「移動」、「住まい」、「消費」であり、東急グループの事業分野そのものである点です。そこで書籍や論文を読み、気候市民会議を先導される有識者や運営側の方々に想いやご苦労されたお話を伺う機会にも恵まれました。
「気候市民会議」は、2019年に仏国および英国で始まり、その後西欧を中心に国、州、市などさまざまなレベルで開催されています。日本国内でも、2020年から札幌市や川崎市などで開催実績があります。ひとつひとつの会議をみ ていきますと、予算規模、主催者、体制、会議日数、参加者数、会議の進め方などさまざまですが、共通点があります。それは、「普通の一般市民」が住民基本台帳などから「無作為に」選ばれ、「いかに脱炭素社会を実現するか」について話し合うことです。
いくつかの素朴な疑問が浮かびます。参加者については「なぜ普通の市民を集めるのか」、「なぜ選び方が無作為なのか」、議論についても「普通の市民が、専門的な内容を議論することなどできるのだろうか」などなど。
疑問にお答えする前に、こうした手法が生まれた背景をたどってみましょう。おおもとは紀元前の「民主主義(デモクラシー)」までさかのぼります。デモクラシーは、ギリシャ語の「デモクラティア(デモス=民衆/人民)+クラティア=支配/権力)」が語源です。古代ギギリシャの都市国家では、市民(ただし、女性、外国人、奴隷は含んでいません)が平等な立場で参加する民会で政治を議論し、意思決定がなされていました。特にアテナイという都市国家では、「一部の例外を除き、全ての公職が抽選で選ばれ」ました*1 。
当時の民主主義は古代ギリシャの衰退とともに失われた後、「国家の規模が拡大するにつれ、 およそ実現不可能な夢物語として議論の片隅に追いやられ」*2 、否定的に評価されてきました。やがて西欧で生まれた議会制と融合、19世紀以降には「代表」を通じて間接的に政治に参加する議会制(代表制)民主主義が進展していきます。20世紀になり、大恐慌、2度の世界大戦、高度経済成長などを経験し、民主主義への批判も含めさまざまな理論が提示され現在に至ります。
代表制民主主義が民意を反映していないのではないかとの批判から、1970年前後に政治への市民参加が活発になり、1990年前後になると「熟議(deliberation)」を重んじた参加という概念が生まれ、熟議民主主義として研究と実践が進み、さまざまなテーマ(犯罪、都市計画、科学技術など)が扱われました。熟議とは「熟慮し議論する」ことです。熟議を行う参加者は、他者の異なる意見にも耳を傾け納得し、自分の誤りに気づいた場合は自分の意見を修正することが重視されています。そのためには正確な情報が提供されることが必須です。参加者については、まず、すべての人が平等に選ばれる可能性のある無作為抽選で選ばれ、次にそれに対する応募者の中から、年代、性別など人口統計学上、対象となるエリアの縮図(ミニ・パブリックス)となるよう抽選で選ばれます。
気候市民会議はこの熟議民主主義の系譜に連なります。脱炭素社会への転換は、政治や科学技術だけでは不可能です。市民が自ら変革の担い手となり、市場や社会の変革を受け入れる意思を示すことが求められています。会議に参加する市民は地球温暖化の原因や対策などの客観的な情報を専門家から得て、よく考え、話し合い、考えを変更したりしながら意見を集約していきます。運営側は、開催場所の人々の問題意識に沿うようテーマを設定し、的確に会議のプログラムを組み立て、適宜軌道修正しながら参加者の議論を補佐します。そして熟議の結晶としての提案は、主催者や協力者として加わる行政や議会などの意志決定者に届けるほか、社会に発信します。
国内での気候市民会議の開催は、既に複数の自治体が意欲を示しており、今後も増えることでしょう。もしお手元に「招待状」が届いたら、皆さんも応募されたらいかがでしょうか。もし私が招待されたら、是非参加してみたいと思います。
*1 宇野重規(2020)民主主義とは何か,講談社
*2 川出良枝(1999),「民主」と「自由」――二つの原理の再編成,情報誌「岐阜を考える」1999年記念号,岐阜県産業経済研究センター
【主要参考資料】
・環境政策対話研究所(2022年8月),報告書「脱炭素かわさき市民会議の記録-無作為抽出の市民による徹底討議と政策提案づくり-」
・環境政策対話研究所(2022年9月),報告書「欧州気候市民会議~欧州における気候民主主義のさらなる展開~」
・篠原一(2004年1月)「市民の政治学-討議デモクラシーとは何か-」,岩波書店
・日本計画行政学会(2010),特集「無作為抽出を活用した討議民主主義の可能性」,計画行政第33巻第3号
・日本計画行政学会(2022),特集「熟議の制度化から熟議文化へ」計画行政第45巻第4号(通巻153 号)
・三上直之(2022年5月),「気候民主主義」,岩波書店
・山本圭(2021年2月),「現代民主主義」,中央公論新社