「紫式部日記絵巻」鑑賞への誘い

2024年3月27日 / 主席研究員 山内 智孝 

 東急グループの五島美術館では、毎年秋に所蔵の国宝「紫式部日記絵巻」が展示されている。本年2024年にはこれに加えて4月~5月にもう一つの所蔵国宝「源氏物語絵巻」の展示も開催される。折しも「源氏物語」作者の紫式部と権力者の藤原道長を主人公としたNHK大河ドラマ「光る君へ」が全国放映されており、いずれの展示も例年以上の盛況が予想される。
 「紫式部日記絵巻」は、紫式部本人による西暦1008年8月から1010年2月まで約1年半の日記をベースに、パートごとに名場面の絵を添付した豪華装丁の絵巻物として、後年の鎌倉期に製作された。江戸期までは大名家が保有し、明治期に三井グループ中興の祖、財界茶人の益田孝(茶名は益田鈍翁)によって分割され、現在は複数の美術館が所蔵している。五島慶太にゆかりの五島美術館コレクション内では「五島本第一・二・三段」のパートを所蔵している。
 紫式部自身が書いたもともとの日記は消失してしまい写本が残るのみだが、藤原道長の日記「御堂関白記(みどうかんぱくき)」は直筆本も一部残っている。同僚の藤原実資(さねすけ)の日記「小右記(しょうゆうき)」等と共に平安期の行政日誌として歴史学上の重要資料となっている。一方の紫式部日記にも業務日誌的な側面があり、道長の娘である彰子が一条天皇に嫁入りして里帰り出産する前後の出来事を、側近として詳述している。道長の日記が淡々とした漢文の業務日誌であるのに対し、紫式部の日記には時々の感動や憂いなどの心情が繊細に織り込まれていて、情景の想像を助けてくれる。二つの日記を並べて読み比べると、同時に共有した出来事が立体的に見えてきて興味深い。
 紫式部と道長、両者が共に日記中で最も文章ボリュームを割いているのが西暦1008年11月22日の記述だ。この日は、彰子の里帰り出産で生まれた乳児(のちの後一条天皇)を、父親の一条天皇が初めてお抱きに来られる、つまり藤原道長自邸への天皇行幸というビッグイベントの記録である。
 天皇のご到着から祝辞、乳児のお披露目、会食、昇進叙位、雅楽演奏などの行事が終日にわたり展開された。当時の道長邸(現在の京都市上京区京都御所内の仙洞御所あたり)には、小島が築かれた大きな池があり、ここに2艘の豪華な楽団船を浮かべ、雅楽曲を交互に演奏させた。パーティーの生演奏BGMではあるが、過半の曲は華麗な装束を着た舞踊がメインとなるため視覚的にも豪華だ。雅楽曲は主に中国由来と朝鮮由来に分かれ、楽団のセッティングが異なるため2艘必要となる。両船がエンディングで合奏した日本人作曲「長慶子(ちょうげいし)」では、曲の終わりに楽団船が小島の向こう側へ去っていく演出があったらしい。紫式部はこの様子を「長慶子をまかで音声に遊びて 山のさきの道をまふほど 遠くなりゆくままに 笛の音も鼓の音も 松風と木深く吹きあはせていとおもしろし」と優美に表現している(「まかで」は退出の意、「山」は池の小島のこと)。列席者全員が、庭園と池を眺めながら五感で演奏に聴き惚れている姿が目に浮かぶようだ。
 紫式部による雅楽演奏の描写はここまでだが、道長はこの後、楽団を邸の軒下に呼んでアンコール上演をさせ、居並ぶ貴族を合奏に参加させている。そしてその締めには「長慶子間余舞」と「御堂関白記」に記述がある。つまり再びのエンディング曲「長慶子」の場面では、なんと「余」=道長自身が舞を披露したと書いてあるのだ。もともと「長慶子」は舞を伴わない5分余りの小曲なので、酔いの勢いから他曲の振付けを引用してアドリブの余興を見せた、と思えなくはない。しかし当日の周到な準備体制を見るに、プロ指導の十分な事前練習を経た上、「座興の体」で天覧の舞に臨んだのかもしれない。道長は舞いながら心地よく感極まっていたのか、それとも無事舞い終えるよう緊張を伴っていたのか。
 このイベントの9日後、同じく道長邸にて、今度は藤原系の身内でカジュアルなパーティが開かれた。名目はくだんの乳児の生後50日記念である。ここで有名なエピソードが生まれる。宴会で酔った貴族官僚、藤原公任(きんとう)が「あなかしこ このわたりに若紫やさぶらふ (そういえば、このあたりに若紫嬢がいらっしゃるのではないですかー)」と言いながら、会場内で紫式部を探し巡った。見つかるのを避けた紫式部は、この出来事を日記に「源氏に似るべき人も見え給はぬに かのうへは まいていかでかものしたまはんと聞きゐたり(私が書いた源氏物語の光源氏に似た素敵な人も見当たらないのに、彼が寵愛した若紫嬢がいるわけないじゃない)」と少々誇らしげに書き残した。「若紫(わかむらさき)」とは源氏物語に登場する架空の美少女で、のちに光源氏の再婚相手となる紫の上の幼名である。このパートは五島美術館所蔵の五島本第三段に含まれている。
 さて、話は一気に現代に飛ぶが、この酔っ払い発言の記録は、千年後の日本国で「古典の日に関する法律」制定の論拠となっている。名作「源氏物語」がいつ書かれたかは不明だが、酔った藤原公任がこのパーティの日までに「源氏物語」を読んで登場人物名を知っていたことは前述の通り明らかである。ゆえにこのエピソードが紫式部日記に記された西暦1008年12月1日=旧暦の寛弘5年11月1日を記念して、日本国は2012年の議員立法により11月1日を「古典の日」と定めたのである。この法律により、国や自治体は「国民の間に広く古典についての関心と理解を深めるようにするため、古典の日を設ける。古典の日は、十一月一日とする。古典の日には、その趣旨にふさわしい行事が実施されるよう努めるものとする。そのほか、家庭、学校、職場、地域その他の様々な場において、国民が古典に親しむことができるよう、古典に関する学習及び古典を活用した教育の機会の整備、古典に関する調査研究の推進及びその成果の普及その他の必要な施策を講ずるよう努めるものとする。」と義務付けられた。
 宴会での酔っ払い発言が紫式部に実名入りで記録され、千年後、日本国の古典に関する文化政策推進の一助となったのだ。泉下の公任には思いもよらないことであろうが、日本文化における紫式部の影響力を感じさせる、なかなか痛快なエピソードである。
(文中敬称略)

〇参考文献:
 ・「紫式部日記」(池田 亀鑑・秋山 虔 校注 岩波文庫)
 ・「藤原道長 御堂関白記(上)」(全現代語訳 倉本一宏 講談社芸術文庫)
 ・「藤原道長 御堂関白記」(政宗敦夫編 日本古典全集刊行会)
   → 国立国会図書館デジタルコレクションにて参照 https://dl.ndl.go.jp/pid/1111828/1/90

〇補足情報:
  五島美術館 展示案内

 ・国宝「源氏物語絵巻 鈴虫一・鈴虫二・夕霧・御法」特別展示予定
  2024年4月27日〜5月6日

 ・国宝「紫式部日記絵巻 五島本第一・二・三段」特別展示予定
  2024年10月5日〜10月14日