ノーコード
「ノーコード」という言葉をよく目にするようになったのはここ数年のことだ。ノーコードとはプログラミング言語の詳しい知識がなくてもソフトウェアやアプリ、ウェブサイトを構築できる技術だ。「米調査会社ガートナーによると、ノーコードの開発やツールなどに関わる市場規模は2023年に世界で203億ドル(約2兆2000億円)と、19年の2.2倍に拡大する見通しだ」(日経電子版、2021年05月26日)という。米グーグルやマイクロソフトなどもこの分野のプラットフォームづくりに注力しているようだ。国内の活用例としては、鹿島や三菱重工業などがノーコードにより工事の人員削減や業務アプリの開発を実現している。
私は中学生の頃、パソコンを買い与えてもらってプログラミングをかじったことがある。BASIC(ベーシック)という言語やコンピューターに直接命令を出す機械語と呼ばれる言語で簡単なコーディング(プログラミング言語を用いた記述)をして、主にゲームの改造などに精を出していた。シューティングゲームで強制的に連射できるようにしたり、敵弾をすり抜けるようにしたりするのは楽しかった。当時は暇で熱意もあったからそんなことができたが、今は、プログラミング言語についてはまったくの素人だ。当時と違ってプログラミング言語は多岐にわたっており、先日、中でも人気の高い言語のPython(パイソン)の本を1冊読もうとしたがすぐに脱落した。
ノーコードやローコード(プログラミング言語によるコーディングをできるだけ少なくしてソフトなどを構築すること)がさらに普及してくると、先ほど国内の例に挙げた人員削減や業務効率化にとどまらず、DX(デジタルトランスフォーメーション)と相まってビジネスの仕組み、社会の仕組みを大きく、しかも早く変えていくような力になるのではないかと想像する。しかもこれからのノーコードは、人が話す言葉をパソコンが認識して作業を自動化し、ソフトなどを構築できるようにもなっていくようだ。もちろんプログラミング言語を操れる専門家(プログラマー)も大規模開発や人工知能(AI)関連の開発など場面によって必要だし、最低限「プログラミング的思考」ができる人も必要なのは言うまでもないが。
日本の小学校などで取り組みが始まったプログラミング教育は、コーディングが目的ではなく、将来どのような職業に就くとしても、時代を超えて普遍的に求められる力としてのプログラミング的思考を育成することが目的だという。プログラミング的思考とは、問題解決のために逆算的に物事を順序立てて解決していくこと。こうした流れはノーコードの普及にとっても心強いことだと思う。
日本ではプログラミングというと、プログラマーが下請けして設計通りにコーディングするものというイメージが強いが、海外ではプログラミングは、プログラマーがコンピューターを使って世の中の仕組みを変えていくことを意味すると聞いたことがある。後者はなにか大きな希望が持てる感じだ。プログラミング言語の詳しい知識の要らないノーコードによる開発もビジネスや社会にますます影響を与えていくだろう。暮らしを豊かに、もっと便利にするために、DXの役割は一層増していく。ノーコードが一部の人たちのものだけでなく、さらに市民権を得て、より多くの人々が活用できるようになればいいと思う。
参考資料
「ノーコードでDX後押し 常石造船や鹿島、作業時間短縮」(日経電子版、2021年9月10日)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC061JG0W1A500C2000000/
「ノーコード教育に商機」(日経電子版、2021年05月26日)
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO72242660V20C21A5FFT000/
「小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について」(小学校段階における論理的思考力や創造性、問題解決能力等の育成とプログラミング教育に関する有識者会議、2016年6月16日)
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/053/siryo/__icsFiles/afieldfile/2016/07/08/1373901_12.pdf