予言の自己成就
地方に暮らす学生時代の友人が、夏休みにピアノの発表演奏に上京するという。少なくとも10年以上は会っていない。嬉しくなって即座に「観に行くよ」と応えた後で、詳細が分からないのに私は本当に行けるのか、休暇を取ることになるか、しばらく自問した。数カ月前の話である。果たして、私は発表会前日に友人と再会し、翌日、勤務時間を調整して仕事帰りに観に行くことができた。
自分が予言したことがもとになって結果的に実現してしまうことを、社会学者のロバート・K・マートンは「予言の自己成就」と呼んだ。何らかの予期が単なる思い込みであったとしても、意識的または無意識にその予期を実現するような行動をとることによって現実になることがある。予言の自己成就は、経営の意思決定と成果との関係を考えるうえで示唆に富んでいる。組織理論家のカール・E・ワイク(1987)は、ハンガリー軍偵察隊の物語を例示した。
軍事演習でアルプス山中に送り込まれた偵察隊が、雪山を2日間さまよい万事休すというとき、一人の隊員がポケットの中から地図を見つけた。偵察隊は地図を頼りに帰り道を見つけ、3日目に無事生還を果たした。ところが後で気づいたのは、その地図はアルプスではなくピレネーの地図だった。地図を戦略、下山を成果に置き換えると、下山できたのは戦略が正しかったからではない。地図は間違っていた。一方で地図は偵察隊が信じた希望の道しるべとして機能したことを考えると、経営理念のメタファーにもなりうる。
この実話を引用しながらワイクが提唱した概念が「センスメーキング」(意味づけ)である。VUCA(Volatility, Uncertainty, Complexity, Ambiguity)ワールドに生きる現代ほど「意味の探求」が求められる時代はない。友人のピアノの発表会に出かける私は同時に、都内の音楽ホールのイベントを観察する行為として自らを意味づけている。ワイクはセンスメーキング以外にも自己成就的予言を提唱しているが、その嚆矢となったのが「組織化」の概念である。
“何を私が言うかを私が知らずして何を私が考えているかを私がどうしてわかろうか?”
ワイクの主張は、寓話から引用されたこの一節に集約されている。組織化モデルは、行為が認知を規定するという立場に依拠している。ワイクは、組織は不断に再構築される進行中でダイナミックなプロセスであることを前提に、進化論の概念を用いた自然淘汰のプロセスとして、組織化モデルを提示した。環境は単なる観察や解釈の対象ではない。むしろ人が環境を創造し、その環境が人に制約を与える。環境は見る人の目のなかにある。人が違えば違った環境が創造される。世界は本質的に経験から成る曖昧な領域であり、多義性に満ちている。組織化によって多義性の除去が試みられ、世界を解釈可能な環境に創出しているのである。
ワイクが組織化モデルを提示したのは40年前のことになる。そのコンセプトは、いまや対話型組織開発の理論的基盤となる社会構成主義へ受け継がれ、「言葉が世界を創る」をキーワードに企業の組織マネジメントの実践に根づき始めている。
※参考文献
長瀬勝彦(2008)『意思決定のマネジメント』東洋経済新報社
Weick, K.E. (1979) The Social Psychology of Organizing(遠田雄志訳(1997)『組織化の社会心理学』文真堂)
Weick, K.E. (1995) Sensemaking in Organizations(遠田雄志訳(2001)『センスメーキングインオーガニゼーションズ』文真堂)