龍についてのあれこれ
辰年と十二支
今年(2024年)は辰年。龍は14.4億枚発行された2024年用お年玉付き年賀はがきの多くに描かれ、銀座の商業施設の新年を飾るウィンドウで躍動し、美術館や博物館での企画展示に登場しました。「昇り龍」にあやかり業績や運気の高みを目指す方々も多いと思います。
これまで「今年の干支(えと)は辰」と不用意に使っていましたが、これは誤り。ご存じの向きも多いとは思いますが、干支は十干(じっかん)と十二支の組み合わせからなります。十干とは「甲(こう、きのえ)、乙(おつ、きのと)、丙(へい、ひのえ)、丁(てい、ひのと)、戊(ぼ、つちのえ)、己(き、つちのと)、庚(こう、かのえ)、辛(しん、かのと)、壬(じん、みずのえ)、癸(き、みずのと)」です。十二支はあらためて記すまでもないとは思いますが、「子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)、辰(たつ)、巳(み)、午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)、亥(い)」です。今年の干支は十干(じっかん)の第一位である「甲」と、十二支で唯一の架空の動物である「辰」を組み合わせた「甲辰(きのえ・たつ)」になります。
十干十二支は今から3000年以上前、古代中国の殷の時代までさかのぼります。十干は10日をひとまとまりとし、その10日の各日につけた呼び名です。十二支は惑星のうち最も尊いとされた木星が12年で天球を一周する、その位置を示すために天球を12の区画に分けて名付けたことに始まるそうです。以来、単独であるいは組み合わせて年、月、日、時間、方位を表してきました。例えば歌舞伎を見ていると「辰巳(たつみ)芸者」が良く登場しますが、これは江戸城からみて辰巳の方角(東南)にあった深川の芸者を指します。
ところで、十二支に用いられる漢字の字源を調べると、順番や特定の動物とは関係がないことがわかります。今年の「辰」を例にとると、字源は「草を刈るための農具」です。十二支の5番目を漢字表記する際に、意味的つながりなしに、単に発音が近い漢字をあてはめただけというのが真相のようです。
さらに、特定の動物と結びつくようになったのはずっと時代が下ってからのことですが、特定の生き物が割り当てられた理由自体は、まだ明らかになっていないそうです。秦の統一(紀元前221年)前後に書かれた出土資料の中には、十二支と動物との対応を描いたものが複数見つかっています。日本漢字能力検定協会のサイトで紹介された4種類の出土資料では、どの資料でも「子・丑・寅・卯」は現代と同じく「鼠・牛・虎・兎」に対応しています。しかし、「申」は「環」(玉器)、「石」、「玉石」に、「酉」では「水」と、動物以外の物との対応も見られます。「辰」については、「龍」のほかに「蛇」があてはめられている資料もあり、当時はまだ「龍」と確定していなかったことがわかります。
辰年と名前
名前に「辰・竜・龍」が含まれていると、筆者は反射的に「この人は辰年生まれかな」と思ってしまいます。芥川龍之介、坂本龍一、村上龍はいずれも辰年生まれです。
明治安田生命では明治45年・大正元年から令和4年までの「生まれ年別名前ベスト10」を発表しています。同社の契約者のみが調査対象ですが、一定の傾向は見て取れると思います。辰年は大正5年から平成24年までに9回ありましたが、男の子の名前では、このうちの6回で辰・竜・龍のつく名前がランクインしています。一方、他の十二支では、同様の傾向はみられませんでした。
別の調査となりますが、ベネッセも2005年から毎年「たまひよ 赤ちゃんの名前ランキング」を発表しています。2012年の辰年では、「たまひよ」の商品利用者から寄せられた2012年1月1日から同年10月31日までに生まれた子供33,640 人分の名前では、龍之介が5位、龍生や龍という名前も50位以内に入っていました。どうやら、近年は竜より龍のほうが人気のようですが、龍と竜は同じ意味で、「龍」が旧字体、「竜」が新字体です。漢字の源流である甲骨文字をみると現在の竜の形に近く、龍はその甲骨文字の一部を強調して書いたものだそうで、どちらかが元となる文字ということではないのですが、日本では龍が長らく正字として扱われてきたので、龍を旧字体としています。
ふと、中国でも辰年には龍・竜の漢字を使った名前が増えるのではないか、と中国人の同僚に尋ねてみたのですが、中国では同じものが重なるのは良くないとされ、辰年生まれの人に龍や竜を含む名前は付けないとのことでした。
もうひとつ、十二支と名前について別の調査結果も見つけました。漢字検定を主催する日本漢字能力検定協会・漢字文化研究所が2017年実施の第3回検定の受検者71万2456人を対象に調査をしたところ、約1%の7,486人に「龍」か「竜」の文字が使われ、この人たちの4割が辰年生まれだったそうです。こちらも対象者が漢字検定受検者に限定され、さらに8割弱にあたる55万人が10歳代と年齢の偏りが大きいものの、やはり辰年生まれの子供に龍・竜をつける親は多いですし、辰年以外の生まれであっても、龍や竜がつく名前は人気のようです。近年はジェンダーレスな名前も増えているようですが、力強さ、縁起のよさ、向上心、優れた人などをイメージさせる龍・竜の人気は今後とも続くような気がします。
龍とは
今年の2月~3月、上野寛永寺の創建400年を記念して2025年に奉納される天井画のお披露目が東京・日本橋で行われました。縦6m、横12mの板に描かれ、「阿(あ)」と「吽(うん)」の2体の龍が空を舞うダイナミックな構図です。
寛永寺に限らず、龍は仏教を守護する存在とされ、神社仏閣には天井画をはじめとして、欄干や襖絵、仏具などに多くの龍がいます。仏教が生まれたインドでは、仏教を守護する存在は「ナーガ」と呼ばれ正体はコブラなのですが、紀元前2世紀~紀元1世紀に仏教が中国にもたらされたとき、中国の人々は造形が異なる「ナーガ」を「龍」と訳し、コブラではなく中国の龍の姿で受け入れたのでした。荒川(1996)は「雨を恵む水の神」という性格的な類似性を重視したからではないか、と推察しています。新しい概念を取り入れるとき、これまで慣れ親しんできたパラダイムを基盤としたことは容易に想像がつきます。中国で現在私たちが思い描くような龍の造形に定まったのは漢の時代だそうで、後漢の学者であった王符は、9種の動物にたとえる九似説を展開、「角は鹿、頭はらくだ、目は鬼、頸(くび)は蛇、腹は蜃(しん)※1、鱗は鯉、爪は鷹、掌(てのひら)は虎、耳は牛」に似ているとしました。
中国の文化圏にあった古代の日本では、聖獣とされた龍も中国から、あるいは朝鮮を経由して日本にもたらされ、日本の土着の文化と融合していきました。荒川(1996)によれば「縄文時代いらい豊穣の蛇の信仰が広く浸透」しており、外来の龍に駆逐されずに共存したそうです。日本の天皇は中国の皇帝と同様、龍を用いて雨ごいをつかさどりましたが、龍が皇帝のシンボルとなった中国と異なり、日本では天皇が龍とみなされることはなかったとのこと。文化が伝播していくときに発生する差異はとても興味深いものがありますし、龍は昔からずっと同じ姿のまま存在して来たと思うこと自体、勝手な思い込みであることに気づかされました。
水の神と水をめぐる問題
歌舞伎の「鳴神(なるかみ)」という演目では、高僧によって滝つぼに封じ込められた龍神が、天下一の美女である雲の絶間姫(くものたえまのひめ)にしめ縄を切られて封印が解け、天に駆け上っていくことで、100日余りの日照りが終わり恵みの雨が降ります。また、筆者の地元で奉られている五頭龍(ごずりゅう、5つの頭を持つ龍)も、台風を防ぎ、日照りでは雨を降らせました。
こうした芝居や伝説に触れる度に、過去の日本では日照りでどれほどの大きな損害を被ったのだろう、と思ってきましたが、国内で干ばつが最も恐ろしい自然災害であったのは戦国時代までで、かんがい施設などの整備とともに「日照りに不作なし」、「干ばつに飢饉(ききん)なし」という言葉も生まれたようです。古気候学の分析でも、中世~近世の大飢饉の原因が干ばつであったのは稀で、ほとんどが冷害によるものであったことが明らかにされています。では現代の日本において、干ばつはとるに足らない問題でしょうか。
干ばつとは「数ヶ月から数年にわたり降水量が平年より極端に少なく、水が不足する状態が続く」※2ことを指します。水不足は砂漠が広がる乾燥地帯だけの問題ではありません。2022年のヨーロッパは500年に一度の干ばつで、6割の土地が干ばつの危険にさらされました。アメリカ・カリフォルニアでもこのところ干ばつが発生しており、2022年には1200年に一度といわれる状態でした。2021年には北海道でも100年に一度の干ばつが起きています。
干ばつは食料の生産に大きな被害を及ぼします。食料の多くを海外に頼っている日本でも影響は必至です。海外では雨水のみにたよる天水農業からかんがい農業への転換を図り、干ばつの監視・早期警戒システムの普及に取り組んでいますが、私たち個人でもできることがあります。その一つが食品ロスを減らすことです。食べ物を捨てるということは、生産に使用された多くの水も無駄に捨ててしまうことになるからです。
毎年3月22日は「国際水の日」、今年の5月には第10回世界水フォーラム(インドネシア・バリ)も開催されます。深刻な干ばつとまではいかなくても、2024年3月18日現在で関東北部、四国、九州北部、沖縄の各地方ではダムの貯水率が低下するなど渇水傾向が続いており、国は節水を呼び掛けていますが、このことはあまり知られていないのではないでしょうか。豊富にあると思ってつい軽んじてしまう水ですが、水の神である龍の年に、水との向き合い方を変えていくことが大切だと思います。
※1 想像上の動物。蜃気楼を作り出す
※2 国立研究開発法人国立環境研究所 気候変動適応編
https://adaptation-platform.nies.go.jp/climate_change_adapt/qa/12.html
《参考資料》
荒川紘(1996),『龍の起源』, 紀伊國屋書店
池上正治(2023) . 『龍の世界』 , 講談社 , 講談社学術文庫
漢字Q&A 「龍」は「竜」の旧字体だそうですが、元々は「竜」の方が正しいのだという話を聞いたことがあります。本当ですか?
https://kanjibunka.com/kanji-faq/jitai/q0336/ , 大修館書店 , 漢字文化資料館
河竹繁俊(2019),「歌舞伎十八番集」, 講談社 , 講談社学術文庫
「十二支と十干」https://www1.kaiho.mlit.go.jp/KOHO/faq/reki/jyuunishi.htm , 海上保安庁
黒田日出男(2003) , 『龍の棲む日本』, 岩波書店 , 岩波新書
笹原宏之『漢字の現在 第143回 2種類の「竜」と「龍」』, 言葉のコラム
https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/kanji_genzai143 , ㈱三省堂
高崎哲郎 「飢饉・飢餓の歴史を振り返る 安心、それが最大の敵だ 東北の古文書<庶民に惨状、
残酷極りなし>」リスク対策.com ,
https://www.risktaisaku.com/articles/-/20478?page=2 , 新建新聞社
たまひよ「2012年 名前ランキング」,
https://st.benesse.ne.jp/ninshin/name/2012/name-ranking/ , ㈱ベネッセコーポレーション
戸内俊介「やっぱり漢字が好き。5 「干支」ってなんだ!?(上) 」
https://www.kanjicafe.jp/detail/10365.html 公益財団法人 日本漢字能力検定協会
戸内俊介「やっぱり漢字が好き。6 「干支」ってなんだ!?(下) 」
https://www.kanjicafe.jp/detail/10401.html 公益財団法人 日本漢字能力検定協会
戸内俊介「やっぱり漢字が好き。16 干支「辰」の字源について——併せて2023年「今年の漢字」の予想——」
https://www.kanjicafe.jp/detail/10768.html 公益財団法人 日本漢字能力検定協会
中塚武(2022)『気候適応の日本史』, 吉川弘文館
林静夫「干ばつの現象、定義と災害に関する経緯」 社団法人農業農村工学会 農業土木学会論文集/1989 巻 (1989) 144 号
林巳奈夫(1993), 『龍の話: 図像から解く謎』 , 中央公論新社 , 中公新書
明治安田生命「生まれ年別名前ベスト10」 https://www.meijiyasuda.co.jp/enjoy/ranking/year_men/boy.html
「名前の「龍」は「竜」の1.8倍 両字の4割が辰年生まれ 漢検調査」 毎日新聞(2019/6/20)
https://mainichi.jp/articles/20190620/k00/00m/040/142000c